綱生山 當光寺

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更新日 2022-11-03 | 作成日 2019-01-25

當光寺沿革

 當光寺の在る三田界隈は「渡辺の綱」出生の地と伝えられていて、當光寺向かいのオーストラリア大使館には「渡辺の綱」の産湯に使ったと云われる井戸があり、當光寺の山号も『綱生山』となっています。
 また、「渡辺の綱」が晩年をこの地で過ごしたとも伝わっています。

 當光寺に伝わる話では、當光寺の始まりは渡邉家の内仏寺で御本尊は恵心僧都作の阿弥陀如来像であったそうです。「渡邉の綱」が仕えた源頼光の異母弟である源賢は恵心僧都に師事し僧となり、父満仲も出家させた話が今昔物語に載っています。その関係で渡邉の綱が恵心僧都より賜ったとも考えられます。
 もっとも、當光寺の現在の御本尊は江戸期作で、この恵心僧都の阿弥陀如来像が、いつの時代どうなったのかは、まったく伝わっていません。

 當光寺の宗派は浄土真宗本願寺派ですが、以前は真言宗だったと伝わっています。近在の大寺『麻布山善福寺』に親鸞聖人がおいでになり、その高徳に感銘を受けた了海上人が改宗され、その流れで當光寺も浄土真宗になったそうです。本願寺傘下の寺院になったのは弘治3年(1557)のことで、ご本山に認許され、それまでの當光坊という名称を當光寺に改めました。

 平成21年3月に無事修復を完了した本堂は明和4年(1767)に建立され、安政大地震・関東大震災で被災しながらも修復され、昭和52年(1977)に内装のみ修復されました。
 今回の本堂修復は、関東大震災以来、手つかずのままだった基礎部分から全体的に修復をおこないました。平成22年4月には落慶法要が勤まりました。

浮世絵について

作品名 江戸の花(華) 名勝会 さ 三番組  【上の画像をクリックすると拡大表示できます】
作家  三代歌川豊国(歌川国貞)
制作年 文久3年(1863)
彫り師 彫巳の

役者絵、風景画で著名な三代歌川豊国の江戸名所シリーズのうちの1枚。
没年が1864年とされるので最晩年の作品といえます。
作品は、渡辺綱ゆかりの三田界隈を紹介。歌舞伎役者「中村芝翫」演ずる渡辺綱と丈の屋号「成駒屋」の祇園守の紋が配されています(歌舞伎狂言の題名は『茨木』です)。1860年に襲名した四代目中村芝翫(後世に大芝翫と呼ばれる名優)と考えられます。

では絵の中の詞書を見てみましょう。三田尽くしになっていて楽しいです。

三田名物~「魚らん餅」「御茶所米田園」「砂糖漬木村」「靏友」「虎屋」

役者絵の右は、有名な渡辺綱の鬼退治伝説から。

 √綱ハ上意を蒙りて 羅生門へそ来りける
 √綱ハおにとねぢ合ふといふ 鬼ハ綱とねぢ合ハぬと云
 アレ しころがれきれるきれぬといふ
 おにが手をきられて わらハヽるる

役者絵の背景には三田八幡宮が描かれています。

高札の左側は、しゃれ歌ですね。

 綱か古蹟を見たかへ
 三たとも 三たとも 三たとも 三たび廻て よく 三田

高札の中には、 渡辺綱の時世の一首と三田の名所が述べられています。

 綱が辞世
 今まてハ命つなきし 駒なれと かくては綱も たのミすくなし

 名所名物 江戸の土 金の札 一坪千両
 綱が手引坂 綱坂 産湯の水
 出生の地ハ 綱生山當光寺
 塚ハ功運寺 守神ハ
 窪三田八幡宮 世俗ニ云云

豊国画
周麻呂写

※浮世絵は株式会社アトリエ・フォア・エイ天野彰様提供の作品です。
※解説は江戸東京博物館資料を参考に、元徳川林政史研究所須田肇先生に
 ご協力をいただき永田がまとめました。